

第10代崇神(すじん)天皇の御代、大国主命(おおくにぬしのみこと)第11世大田田根子(おおたたねこ)の孫、大加茂都美命(おおかもずみのみこと)に勅を奉りて葛城邑(かつらぎのむら)加茂の地に奉斎されたのが始まりとされている。葛城加茂社(かつらぎかもしゃ)、下津加茂社(しもつかもしゃ)とも称され全国の加茂(鴨)社の根源である。明治以後、宮中八神殿の一社として鎮魂の祭礼に預かり給う延喜式内明神大社(えんぎしきないみょうじんたいしゃ)である。現在も宮中三殿の1つ合祀され継承されている。事代主神は元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源となる。大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主命の子にあたることから、大神神社の別宮とも称される。当社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命神社(かもつみわやえことしろぬしのみことじんじゃ)」であり、「鴨の水端(みずは)の神」と解され、鎮座地付近が葛城川と柳田川の合流点となり水に恵まれていたことから、元々は水の神を祀っていたとする説もある。また神社を中心とする一帯は「鴨都波遺跡」という弥生時代中期の遺跡として知られ、当時の住居跡や土器、農具などが多数出土しており、古代より鴨氏がこの地に住み着いて農耕生活を始めていたことが窺える。終戦までの旧社格は県社である。


地元では「鴨の宮」で知られ、旧御所町及び近隣の5つの地区(東松本、竹田、南十三、蛇穴、元町)の氏神として崇敬されている鴨都波神社で行われる献灯行事。夏祭り(7月16日)と秋祭り宵宮(10月スポーツの日の前々日の土曜日)に、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願し、氏子地域から「ススキ提灯」と呼ばれる30本余りの提灯が奉納される。ススキ提灯とは、2間半(4.5m)ほどの竹製の支柱に、横木を4本通し先端から紐で連結し、高張提灯を上から2・4・4の合計10張を三段に組み立てて、先端部に白幣を掲げたものである。県内においては、稲積みの形をススキまたはスズキと称する所は多いが、当社行事では「稲穂の実っている姿」がススキ提灯に形と伝えられている。なお、起源については定かではないが、少なくとも江戸時代中期には現存に近い形態が生まれていたであろうと考えられる。献灯行事は県内でも類似のものがみられるが、当社のススキ提灯献灯行事は、県内最大級であると共に奈良盆地南部における祭礼形態を示す代表的な行事として貴重なものとして位置づけられている。平成12年3月、奈良県無形民俗文化財に指定される。
